まるまる3ヶ月経ってしまった!
今更にも程がありますが、祝71歳更新ということでv
春まだ寒い2月の京都、元小学校の体育館を会場に行われた
フェスタで『二人日和』が上映され、基調講演を挟んで
パネルディスカッションに参加された栗塚さんの
レポの続きです。
京都市街地中心部には、あちこちに
使われなくなった小学校があります。
ドーナツ化ですね…。
さて、中島監督の基調講演がやや押し気味に終わると、
休憩もなく、そのまま司会の女性が現れて、
(京都映画祭事務局プロデューサーの吉田かおる女史)
ゲストが壇上に上がり、始まりました。
ゲストは野村監督、山内明日ちゃん、栗塚さんの
『二人日和』チーム、そして中島監督です。
超寒いのに明日たんは緑のチュニックに生足!
若さだわー!
まずは、基調講演からの流れを受けて、
京都で映画を作ることは、京都の文化を見てもらうこと、
などに絡めて一言ずつ。
●野村監督
京都生まれの京都育ちなので、
映画の撮影風景に親しんで育ちました。
映画界には昭和34年頃に大映に助監督として入ったが、
その頃は斜陽になりかかっていたものの
大映はまだ元気で、カツライス(勝新太郎、市川雷蔵…)などの
スターが健在で、その間を走り回っていた。
大映京都撮影所には、文化も技術も詰まっていた。
撮影所の存在こそが、映画を支える底力だったと思う。
(というような主旨だった…はず;)
監督になったのは、育ててくれた撮影所への恩返し。
『二人日和』を作るきっかけになったのも、
映画の中で藤村志保さんがかかった病気になった
映画界の知人を励ますためでした。
『二人日和』も京都の文化が色濃く出てくるが、
京都にはその道の専門家がいてくれるので
しっかりと踏まえた映画が作れたと思います。
●山内明日(やまのうちめいび)ちゃん
大阪生まれの大阪育ち。去年20歳になりました。(わかっ!)
京都の文化に触れたのは、14歳で芸能界入りしてから。
『二人日和』では、栗塚さん、藤村さんとご一緒できて
感動しました!
出来上がった映画をみて、いつも楽しくてお茶目で、
楽しいことをたくさん言ってくれる栗塚さんが、
あんなに(力強くv)かっこいい、伝統を守る職人さんに
なっていて、演技というものは、
一人の別人を演じることなんだなと実感し、
大変勉強になりました。
たくさんの方に観ていただきたい作品です。
★隣から表情豊かにのぞきこむ栗塚さんに
笑わされ気味の明日ちゃん♪
●栗塚旭氏
どうも。(拍手!)
僕、ホントは座ってしゃべるのは苦手なんですけれど、
今日はみなさんが座っておられるから、僕も失礼して
座らせていただきます/笑
昭和12年北海道生まれ、去年70歳になったので、
この映画を撮った時は65歳でした。
だから、明日さんは、15歳だったの!?
なんって大人びて…僕、なんて素晴らしい女優さん
だろうと思ってね〜。ほれぼれしてたんですよ。
もちろん(慌)藤村さんにも昔からほれぼれしてて、
勝新太郎さんの相手をされてた頃からのファンでした。
たまたま両親が亡くなったので、15歳の時に京都へ。
引っ込み思案だった性格が、親の死をきっかけに突然変異し、
日本のハリウッド/京都にいるんだからと
20歳で俳優を目指すがいきなりはうまく行きません。
映画界でスターになるには、まずニューフェースというものに
受からなければならないが、受かりっこないので、
名女優毛利菊枝主催の劇団くるみ座に入り、
演技の勉強を始めました。
…と言うわけで、前回予告したとおり、
名乗ることも忘れるほどにテンションMAX
の栗塚劇場はまだまだ続きます!
ながーいですよー!
(栗塚さんのコメント続き)
昨日福本さんのトークを聞いたら、彼は5歳年下だけれど、
同じ時期に演技を始めているんですね〜(感慨深げ)。
劇団と言うものは、飲まず食わずの世界で、
僕も毛利のかばん持ちのようなことをして
なんとか食いつないで、でもそのおかげで
当時飛ぶ鳥を落とす勢いの東映/松竹/大映の撮影所に
堂々とかばん持ちとして入っていくことが出来たんですねー!
(当時を思い出してか、非常に楽しげな栗塚さん。)
福ちゃんも昨日言ってたけど、門にファンの人垣がずらっと
できていて、みんな入れないんだけど、
虎の衣を着て、そこを「おはようございます!」と通っていって、
本当に…知恵蔵、…(と次から次へと10人以上の往年の
スターの名前を挙げる)カツライスは若手の俳優さんですけど、
女優さんも…京マチ子さんに…(とまた何名もの名が挙がる)
もうそんじょそこらの女を見ても何とも思わなくなっちゃって、
いまだに独身でいるのかな、と思うんですけどね/笑。
その後も松竹の名優さんの名も挙がってました。
そうして映画撮影の現場というものを
見せていただいていたおかげで、昭和40年に『新選組血風録』で
主役をさせていただいた時に、撮影現場で見聞きしていたことが
勉強になっていたんだなと思った。
そこは福ちゃんとは違うところで、彼は映画をほとんど
観たこともなく、お米屋さんが合わずに、ま、裏方でも…と
この世界に入ったけれども、
下心があって、いつかスターになってやる!
と思いながらかばん持ちをしていた僕のような人間もいて、
本当にいろいろだなぁと昨日は思いました。
昨日のマキノ先生の無声映画は、僕の生まれた年、昭和12年の
作品もあって、僕も幼い頃観た覚えがあります。
昨日は『実録忠臣蔵』を観せていただいて、1人の弁士さんが
主人公から名もない役まで演じ分けている姿に感動しました。
今、我々は何十人というスタッフに囲まれて映画を作り、
出演者も何十人もいて、それでもこれに匹敵する映画を
作れないでいる、という現在の非弱さに反省させられました。
でも中島先生がさっきおっしゃったとおり、
映画は魔法。ハリウッドのようにスターがそろいお金があるから
いいものが作れるかといえば、そうでもない。
野村監督がおっしゃったように、『二人日和』は
京都の文化を大切にしたいという意図もあって作られた映画。
僕は、実は引き受けた時は詳しく知っていたわけではなかったし、
京都弁にコンプレックスがあるので…
普通に話すのはいいけれど、
友達からも「お前の京都弁はおかしい」と言われ続けているので、普段は絶対話さないようにしているんです。
藤村さんに「京都の人におかしいって言われたらおしまいだから、
命がけで頑張ろうね」と言われたことで励まされ、
それにいつもは時代劇で、衣裳にかつらをつけているのに
現代劇で不安もあったが、今日も来ておられる監督の奥さんの
プロデューサーに「大丈夫よ、安心して、素で来てください」と
言ってもらって、やっと安心してカメラの前に立つことができました。
さっきも後ろで観ていて、
「人間って、続けてやることが大切なんだな」と思いました。
なんだか一人でべらべらしゃべってしまって申し訳ありません;
生い立ちから昨日の福本清三氏のトークショーの感想から、
いろんな思い出から自分のファン歴まで、思う様語っていた
栗塚さん、突然我に帰って急に終了☆
しかし、やっぱり謙虚謙虚、演技ができればいいんです…ではなく、
劇団くるみ座に入ったのも、かばん持ちも
スター☆になる野望を秘めていたからこそ
だったんですね!
当然?いやー、ワタクシ、争うくらいなら2番目どころか
15番目でもいいです、というタチなので、
そんな自分の性格にあてはめてみての想像しかしておらず、
あの穏やかな笑顔の栗塚さんの中にそんなぎらつく野望が
渦巻いてたなんて、意外です。
しかし!
世に出る人、特にどかんと売れる人、そうなることを目指す人は
そんな、
分かってくれる人だけ分かってくれたら、とか
誰かが見ててくれる…では
なかなかチャンスが来ないのかもしれんですね。
まさに前日の『いつか誰かが見ていてくれる』の福本氏とは
真逆の野望。ぷはー。
あと、山内明日ちゃんが『二人日和』当時15歳だったとは、
本当にびっくり!!!!
まぁ…あの、正直うまい演技とは思わなかったけど、(ゴメンね!)
高校飛び越して大学生の役やってても、
年の面では全然違和感感じてませんでした。
今の方がスッキリした感じで、かわいいお嬢さんに
成長してはりましたよー。
とまあカワイくて若い明日ちゃんに、
栗塚さんが構う構う!
この後も明日ちゃんのコメントに入りまくりです。
20歳のピチピチ☆明日ちゃんにもらった
バレンタインのマカロンパワーか、
今までの穏やかお茶目系とはなんだか違う
暴走風味の栗塚さん。
まだまだまだまだ続きます!
2008年05月10日
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